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翠華園について

History

茶筌の郷・奈良高山

History & Place

茶筌の歴史
茶筌歴史

現代の茶道の始視となった奈良称名寺の珠光が、茶の葉を粉にして飲む茶の湯を考えだしたとき、 これに使う茶筌の考案を高山城主の二男入道宗砌に依頼して出来あがったのが今の「高山茶筌」であります。

翠華園 谷村弥三郎では、約500年の歴史の指頭の技を受け継いでいます。

全国のほとんどの茶筌が高山で生産されています。

茶筌、各流儀、茶器製品、各種取り揃えております。

冬に訪れると「茶筌の竹干し」が里を飾り【竹の里】ならではの風情が楽しまれます。

高山の気候が良質の茶筌を作るのに適しています。
生駒高山の冬は寒く選び抜いた近畿地方の淡竹の竹を1月~2月に田畑で天日で干し、夜間は0℃近くまで気温が下がります。
一ヶ月余り、昼夜の気温の差で竹は締まっていき、良質の茶筌の材料となっていきます。

茶筌出来るまで
茶筌が出来るまで

谷村弥三郎の想い
谷村弥三郎の想い

日本の"おもてなし"とは、茶道文化にも現れている"詫び寂び"と言われる控えめなものです。お客さまをお迎えするとき、「どうしたらその方に喜んでいただけるか」と心を込めて準備し、目に見えない心を目に見えるものに表します。しかし、決して主張せず、相手に余計な気遣いをさせないさりげない心配り…これが"おもてなし"の本質です。
お茶席で、お客さまを招く側(亭主)は「お客さまに美味しいお茶を飲んでいただきたい」と"おもてなし"の心を込めます。床の間にも華美な花を生けるのではなく、竹花入に一輪の花を飾ることで風情を演出します。
日常の雑事から切り離された茶室に、お茶を楽しむためだけの空間を作りあげて、目の前で点てられるお茶。そのお茶の味を左右するとまで言われるのが茶筌です。この茶筌を作り上げる、530年の歴史の中で変わることなく引き継がれてきた指頭の技に触れて頂きたく思います。

地場産業としての高山
高山は古く室町時代から茶筌を作る地としてはぐくんできました。里山の風情は今も昔と何ら変わりなく、今も野鳥が年中を通して庭まで来てくれます。 昔ながらの製法で茶筌を作る音だけがリズミカルに野鳥の声とハーモニーを奏でます。 地場産業とは土地と人ともの、三つが重なりあって構成されています。
先人から受け継いだ技術をこれから伝えていかなければならない作り手としての想い、高山の地の役割を伝えていこうと考えています。

外観

茶室

陳列棚

庭園

外観

茶室

陳列棚

庭園

アクセスマップ
◆交通案内
近鉄奈良線富雄駅、又は(生駒駅乗換)近鉄けいはんな線学研北生駒駅下車
→奈良交通バス【傍示行】【庄田行】で上大北バス停下車(約5分)
→ バスの進行方向より50m後を右折。カンバン有り。 
※ 近鉄けいはんな線学研北生駒駅からタクシーで約10分